大判例

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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)9183号 判決 1983年9月27日

原告

竹内保夫

竹内重子

右原告両名訴訟代理人

早川俊幸

被告

東京都

右代表者東京都交通局長

仁田山實

右訴訟代理人

元木祐司

外二名

被告

安田火災海上保険株式会社

右代表者

宮武康夫

右訴訟代理人

平沼高明

関沢潤

堀井敬一

野邊寛太郎

主文

1  被告東京都は、原告竹内保夫に対し、金九六五万八八〇五円及び内金九〇〇万八八〇五円に対する昭和五六年一一月一四日から、内金六五万円に対する昭和五七年八月一四日から、右各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を、同竹内重子に対し、金九二〇万八八〇五円及び内金八六〇万八八〇五円に対する昭和五六年一一月一四日から、内金六〇万円に対する昭和五七年八月一四日から、右各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を各支払え。

2  被告安田火災海上保険株式会社は、原告竹内保夫に対し、金九六五万八八〇五円、同竹内重子に対し、金九二〇万八八〇五円を各支払え。

3  原告らのその余の請求は、いずれもこれを棄却する。

4  訴訟費用は、被告らの連帯負担とする。

5  この判決の主文第1及び第2項は仮に執行することができる。

6  ただし、被告らが各自、原告竹内保夫に対しては金九六五万八八〇五円、同竹内重子に対しては金九二〇万八八〇五円の各担保をそれぞれ供するときは、当該担保を供した被告は、右各担保を供した相手方である原告と当該被告との間における前項の仮執行を免れることができる。

事実《省略》

理由

一<省略>

二請求の原因2につき、被告都が本件バスの保有者で運行供用者であること、本件保険契約が締結されたことは、原告と被告会社との間に争いがなく、原告と被告都との間においては、<証拠>によれば、本件バスがいわゆる都営バスであり、被告都が自己のために本件バスを運行の用に供していたことが認められる(右認定を左右するに足りる証拠はない。)から、被告都が右バスの運行供用者であることは明らかである。

三被告会社の免責の抗弁について

1  <証拠>によれば、次の各事実が認められる。

(一)  本件事故現場は、国電池袋駅の北東約九〇〇メートルに位置する通称明治通り中の王子方面から池袋六ツ又交差点方面に南面に一直線に延びる内廻り車道上であり、右の通称明治通りは、アスファルトで舗装された路面の平坦な道路であつて本件現場での見通しは非常に良好であつたこと、右内廻り線の巾員は約七メートルで二車線に区分されており、うち中央線寄りの第二通行帯の巾員は約3.4メートル、第一通行帯の巾員は約3.6メートルであること、本件事故現場の道路は、日頃から車両の通行が極めてひんばんであり、東京都公安委員会により最高速度が時速四〇キロメートルに規制され、また駐車禁止になつていること、にもかかわらず、事故現場付近の道路には当時違法駐車する車両が多く、第一通行帯を進行する車両の障害になつていたこと。

(二)  小島は、本件単車(ホンダ五六年式七五〇cc、車長2.19メートル、車幅0.79メートル)の後部座席に亡瑞穂を同乗させて同車を運転し、事故現場の手前約九十数メートル付近で第二通行帯を時速約三五キロメートルで進行していた本件バス(乗車定員八〇名の大型バスであり、車長10.08メートル、車幅2.49メートル)に追いつき、これに追従したこと。

(三)  松川は、被告東京都のバス運転者として事故当時までの間二〇年近くも明治通りを走行してきた者であるところ、本件事故当時のころにおいては、第二通行帯を時速約三五キロメートルで走行し、本件事故現場手前約62.2メートルに位置するバス停留所(上池袋一丁目)付近で乗降客の有無を確認するため、一旦時速約二〇ないし二五キロメートルに減速のうえ、第一通行帯に寄つて進行し、客のないことを確認した後駐車車両の関係でそのまま再び第二通行帯に戻りながら時速約三五キロメートルに加速したこと、本件事故当時、第二通行帯を走行する車両はなく、本件バスが同通行帯を走行するについて支障はなかつたのであるが、松川は、前方に交差点があり、同所を右折する車両のために同通行帯が渋滞することをおもんばかり、かような場合には直ちに第一通行帯に車線変更ができるように、第二通行帯から約三〇ないし五〇センチメートルを第一通行帯上にはみ出たままの状態で直進走行していたこと。

(四)  小島は、右のように第一通行帯と第二通行帯とを跨いだまま直進走行していた本件バスの後方を同車に追随して進行していたが、同車を左側から追い越そうと考え、事故現場手前約32.1メートル付近で第一通行帯に車線変更をしたうえ、時速約五〇キロメートルに加速したこと、小島は、第一通行帯に車線変更してからすぐ自己の車線前方の道路左側に本件貨物車(車長3.99メートル、車幅1.69メートル)が駐車しているのに気付き(第一通行帯の左側約1.95メートルを占めていた。)、本件バスとの間隔が十分かどうかに不安を感じたものの、そこに至る前に追越しを完了することができ、また本件バスも次第に寄つて第二通行帯に完全に入り正常な走行状態に戻るであろうと軽信したため、本件貨物車の手前約14.4メートルに至つて同車と本件バスにはさまれ接触する危険を感じ、とつさに急ブレーキをかけたが、間に合わず、本件貨物車右後部に自車前部を衝突させたこと、その衝撃で、亡瑞穂が本件バスの直前に投げ出されて同バスに轢過されたこと。

(五)  本件バスの乗客は当時一五、六人位で比較的空いていたが、松川は、右直進走行中、後方ないし左後方に何らの注意もはらわなかつたため、本件単車の存在及びその動静には気付くことなくそのまま進行を続け、自らも本件事故による衝撃音をきくとともにこれを聞いた乗客の指摘もあつて、はじめてブレーキをかけて停車したこと。

右の各事実を認めることができる。右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  そこで右認定の各事実に基づき、被告会社のいわゆる免責の主張について判断する。

直進走行中における車両の運転者は、前方左右の安全に注意して右車両を運転すれば足り、後方に対する注意義務を負わないのが一般ではあるけれども、当該車両が特定の専用軌道上を排他的に走行しているのではない以上、右の車両運転者の運転する車両の車種、整備の状況、運転者の技能、健康状態、走行中の道路の性質、整理、整備ないし混雑の状況、車線あるいは歩車道の区別の有無、天候、走行の時間帯等々右の運行における諸般の具体的状況に照らし、直進走行中における車両の運転者といえども、後方の安全を確認して車両の運行に当たる義務を免れない場合が当然存在するものというべきである。

これを本件についてみるに、前記認定のとおり、松川は、本件事故現場の道路が日頃交通ひんばんな道路であること及び第一通行帯には走行の妨げとなる駐車車両の多いことを認識したうえ、第一通行帯を走行するのに何ら支障はなかつたにもかかわらず、走行車線をきちんと定めないまま、走行先には右折車が多く、そこでは再び左方へ寄る必要を生ずるとの理由から第一、第二の両通行帯に跨がつて大型自動車である本件バスを運転し、その結果、本件事故時には、駐車していた本件貨物車のためもあつてその左側方には約1.65メートルの間隔しか残されていなかつた第一通行帯の通行可能な巾員を更に狭めることにより、本件バスと本件貨物車との間隔を約1.15ないし1.35メートル(<証拠>によると、本件事故について作成された実況見分調書上には、その間隔は1.2メートルと記載されているが、本件バスが第一通行帯に約三〇ないし五〇センチメートルはみ出ていたことからすると、右間隔は、約1.15メートルないし1.35メートルとなるものということができる。)残すのみとしてしまつたものである。そして右の間隔では、その間を本件単車が通過することは極めて困難であつたものということができる一方、仮に本件バスが前記の第一通行帯へのはみ出し走行さえしていなければ、本件単車は一応安全に右の間を通過し得たものということができるが、明治通りのように、幹線道路として平素から多種多様の自動車その他の車両がひんぱんに往来する一方、駐停車車両で進行に難渋が予想されるような交通繁忙の著名な道路において、本件バスの如き大型自動車を運転する運転者に対しては、十分注意深く、かつ、慎重な運転方法が期待されて当然であるから、明治通りにおいて本件バスを運転進行する松川としては、車内も比較的空いていたのであるから、その後方を単車を含む自動車ないしは車両が走行しあるいは迫尾若しくは接近してくる可能性にもたえず配意し、後方及び側方の安全をも確認しつつ、併わせて第一通行帯と第二通行帯とが区分されている趣旨にかんがみ、自己の都合だけからその両者に跨がつて走行するようなことのないようにハンドルを操作して右の他の車両もまた当該道路を有効に使用できるよう意を用いながら車両を進行させるべきであるが、もし止むなく第一通行帯と第二通行帯とに跨がつて走行するに当たつては、左側に駐車車両が見られる以上は、特に左後方からくるあるいは左側方を進む車両等の有無に十分注意を払いこれを発見したときは速やかに右によつて第二通行帯の中へ自己の車両を移行させるなどして、左後方からくる車両等あるいは左側方を進む車両等との間における事故の発生を未然に防ぐべき注意義務があつたものというべきである。しかるに、本件においては、前記認定のとおり、松川は右の措置をとらなかつたばかりか、かえつて後方ないし左後方に対して全く注意を用いていなかつたことが明らかであるから、本件事故につき、小島に重大な過失があつたにもせよ、本件バスの運転者である松川が「自動車の運行に関し注意を怠らなかつた」ものとはとうていいい得ないのである。

右のとおりであるから、被告会社のいわゆる免責の主張は、その余の点を考えるまでもなく失当である。

四原告らの損害について

1、2 <省略>

3  逸失利益 原告ら各金一三二九万四八五五円

(一)  <証拠>によれば、亡瑞穂は、昭和三八年九月二三日生まれの女子であり、事故当時一八才で東京都立北野高校三年に在学中であつたことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。右事実によると、亡瑞穂は少くとも高校卒業後の昭和五七年四月から六七才までの四九年間、昭和五七年度賃金センサス、第一巻第一表、産業計、企業規模計、旧中・新高卒計、全年令計、女子労働者の平均年収金二〇九万〇七〇〇円を下らない所得を得られたはずであり、右年収を基礎として、生活費として収入の三〇パーセントを控除し、将来分についてライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して亡瑞穂の逸失利益の現価を計算すると、後記計算式のとおり金二六五八万九七一〇円となる。

なお、原告らは、亡瑞穂が大学に進学する予定で勉学に励んでいたこと等を理由に、同女の逸失利益を算定するにあたつては大学卒業者の賃金センサスをもつて基礎収入とすべきであり、かつ、賃金上昇率年七パーセントを見込むべきである旨をも主張するが、本件全証拠によるも、亡瑞穂が将来大学卒の学歴を取得すること及び賃金が年七パーセントの上昇率で上昇することについての高度の蓋然性を認めるに足りないから、右主張は採用できない。

また、原告らは、亡瑞穂の所得として家事労働分を加算すべきことを主張するが、前記算定においては、職業に従事する女性の平均的所得を基礎に逸失利益を稼働可能期間まで認めているものであるところ、家族の構成員として分担する家事労働による財産的利益は、職業によつて得る収入を基礎に逸失利益を算定するに当たり、女性が妻として家事労働に従事することにより家計費が節減されることを考慮して、これを生活費控除に反映させ、その控除率を控え目にすることにより評価すれば足りるものというべきであり、それを超えて家事労働分を金銭に評価したうえ、これを所得額に加算することは、家事労働分の金銭評価についての的確な資料を入手できない現状においてはいまだ相当でないものと解するほかはない。したがつて、原告らのこの点の主張も採用しない。

計算式2,090,700×(1−0.3)×18.1687=26,589,710(1円未満切捨)

(二)  原告らが亡瑞穂の父母であり、他に同女の相続人が存しないことは原告と被告都間において争いがなく、原告と被告会社との間では、前記甲第五〇号証によつてこれを認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はないから、原告らは、それぞれ、前記逸失利益額の二分の一(法定相続分)に当たる金一三二九万四八五五円(一円未満切捨)の損害賠償請求権を相続取得したものというべきである。<以下、省略>

(仙田富士夫 武田聿弘 松本久)

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